合理的なのに、なぜか好きになれない
Googleを見ていたら、医療機関向けのAI電話サービスの広告が出てきた。
私は医療関係者ではない。
なぜこれを私に見せるのか。
なにやってんだGoogle。
最初はそれくらいの話だった。
ところが、広告の中身を眺めているうちに、少し気になることが出てきた。
AIが電話を受ける。
診療時間や予約方法のような定型的な問い合わせにはAIが答える。
必要なら人につなぐ。
診療時間外でも対応できる。
ここまでは、最近よくある生成AI活用に見える。
「人がやっていた仕事をAIにやらせて、業務を効率化する」
それだけなら、特に珍しい話でもない。
しかし、医療には診療報酬という仕組みがある。
そこで、
もしかして、時間外対応の「体制」をAIで安く維持できるのではないか。
と思った。
ここから話がおかしくなった。
電話を取ることではなく、「体制」にお金がつく
調べてみると、2026年度の診療報酬改定で「時間外対応加算」は「時間外対応体制加算」に名称変更され、点数も引き上げられていた。
時間外対応体制加算1は5点から7点、2は4点から5点、3は3点から4点、4は1点から2点になっている。軒並み加点だ。
厚生労働省は、その理由を「休日・夜間等の問い合わせや受診へ対応する体制整備を更に推進する観点」と説明している。
面白いのは、これは「夜中に電話を1本取ったら7点」という話ではないことだ。
一定の施設基準を満たした診療所が再診を行った場合に、その区分に応じて加算される。
つまり評価されているのは、一件一件の電話そのものというより、
時間外でも患者からの問い合わせに対応できる体制を持っていること
である。
もちろん、AI電話を一本入れれば条件を満たせるわけではない。
たとえば時間外対応体制加算1では、診療時間外に患者や家族から療養について電話等で相談された場合、原則として常勤の医師や看護職員等によって常時対応できる体制が求められている。
だから、
「人間を全部AIに置き換えて、それでも診療報酬をもらう」
という単純な話ではない。
しかし逆に考えると、人間による対応体制を残したまま、そこへ入ってくる電話の一次処理をAIに任せることはできる。
診療時間は何時までか。
駐車場はあるか。
予約を変更したい。
そうした定型的な問い合わせをAIで処理し、本当に人間による判断が必要なものだけを人へ送る。
すると、
制度上必要な体制は維持しながら、人間が実際に受ける電話を減らす
ということが可能になる。
なるほど。
これは結構うまい。
さらに、AIを入れるためのお金まで公費で圧縮できる場合がある
ここで、もう一段気になることが出てきた。
AI導入そのものへの公的支援である。
2026年度には、医療機関のICT導入や業務効率化を支援する公的な制度が存在する。
自治体レベルでも、AI技術を使った医療従事者の負担軽減や患者サービス向上を支援する事業がある。
ここは誤解しないようにしたい。
今回Googleで見つけた特定のAI電話サービスが、これらの補助制度の対象になると確認したわけではない。
補助制度ごとに対象施設も対象経費も条件も違う。
ただ、社会の仕組みとして、
医療機関がAIやICTを導入する際に、公費で導入コストを下げる経路が存在する
ことは確かだ。
すると、条件がうまく合うケースではこんな構造になる。
AIを導入する。
導入費の一部を公的支援で圧縮する。
AIが定型的な電話を処理する。
人間の夜間対応負荷が下がる。
それでも必要な時間外対応体制は維持する。
その体制自体は診療報酬制度で評価される。
最初は単なる「AI電話」に見えていたものが、急に違って見えてきた。
AI導入による人件費削減だけで投資回収を考えなくていい可能性がある。
AIの外側に、すでに制度とお金の流れが存在している。
しかも、医療への「入口」は増えている
ここで少し街を歩いてみる。
最近、医療機関に接続するための物理的なポータルが、妙に増えている気がする。
病院そのものへ行く以外にも、医療へ接続するための場所や端末やサービスが、生活圏の中に少しずつ入り込んできている。
電話だけが入口ではない。
Web予約もある。
アプリもある。
オンライン診療もある。
さらには、「これは一体なんなんだ」と思うような、医療機関へ直通するテレビ電話付きの設備っぽいものまである。
駅には、診療所につながる電話会議ブースのようなものまである。
感染対策、大丈夫か!
と思わなくもないが、とにかく医療への入口は確実に増えている。
そして今度は、AI電話まで入ってくる。
医療機関へのアクセスそのものが、
「病院の受付へ電話する」
という一本の線から、複数の入口を持つネットワークへ変わり始めているように見える。
そう考えると、AI電話も単なる省人化装置ではない。
医療機関と患者を接続する、新しいポータルの一つなのかもしれない。
うちの会社では使えない
ここで、自分の仕事に置き換えてみた。
会社でAIを導入する。
これまで1時間かかっていた仕事が10分になる。
50分削減できる。
素晴らしい。
では、その50分を得るコストは誰が払ってくれるのか。
誰も払ってくれない。
当然である。
AIで仕事が1時間減ったからといって、国から点数がつくわけではない。
「1時間削減できました」
と言えば、
「そうですか。では、その時間で別の仕事をお願いします」
というルートになるのは、自分で実証済だ。
普通の企業では、
AI投資 → 生産性向上 → その効果を自社で回収
という閉じたループになる。
ところがここには、補助制度や診療報酬という形で、外部から資金が流れ込む経路がある。
まさに、AI導入のオープンループだ。
ずいぶん恵まれた構造に見えた。
そして、ここで少し嫌な感じがした。
「公費でAIを入れて、楽になる」のがどうも好きになれない
私は、公費を使って民間のAI導入コストを下げる仕組みが、あまり好きではないらしい。
AIを入れて仕事が楽になる。
そのAIの導入費の一部を公費で負担する。
さらに既存の公的制度から収入を得られる。
もちろん、それぞれの制度には政策目的がある。
医療従事者の負担を下げる。
人手不足の中でも医療提供体制を維持する。
患者サービスを改善する。
理屈は分かる。
それでも、
自分たちの設備投資なのだから、自分たちで投資回収すればいいのではないか
という感覚が残る。
公的支援があることで、
「本当にこの価格でも導入する価値があるのか」
ではなく、
「補助が出るなら入れておこう」
になってしまわないか。
AI電話という製品側も、
「市場で価値を証明する」
より、
「補助制度に適合する」
ことが競争力になってしまわないか。
そんなことを考えていた。
ここまでなら、おそらく私の結論はかなり単純だったと思う。
AI電話そのものは面白い。
業務効率化としても筋がいい。
でも、公費で導入して診療報酬制度の中で回収しやすくする構造は、なんとなく好きではない。
そのまま記事を書いて終わりだと思った。
ところが、妻にこの話をした。
妻の一言で話が壊れた
妻の反応は、予想と全く違った。
「近くの病院、受付の人が感じ悪いから、AIの方が気が楽」
なるほど。
その軸を考えていなかった。
私はずっと、
病院側のコスト。
職員の負荷。
診療報酬。
補助金。
AI投資の回収。
という側から見ていた。
つまり完全に「運営側」の視点だった。
しかし、電話をかけるのは患者である。
人間の受付が必ずしも、すべての患者にとって最良のインターフェースとは限らない。
何度聞いても嫌な顔をされない。
言い間違えても気にしなくていい。
相手が忙しそうだからと遠慮する必要もない。
診療時間を聞くだけなら、人よりAIの方が気楽だという人は確実にいる。
すると、
公費で病院を楽にするAI
だと思っていたものが、
公費で患者側のアクセスを改善するAI
にも見えてくる。
困った。
単純に批判できなくなった。
そして逆方向もある
しかし、ここでまた別のことを考えた。
「あの病院、どうせAIが出るから電話したくない」
という人もいるのではないか。
いや、まさに自分のことである。
私は、体調が悪かったり、少し複雑なことを聞きたかったりする時に、最初からAI音声が出てくると分かっているなら、電話をためらうと思う。
場合によっては、
「面倒だから、明日の昼にしよう」
となる。
妻はAIの方が気楽。
私は、人間に直接つながる方が気楽。
同じ家庭の中ですら逆である。
すると、「AI導入後に電話件数が30%減りました」という数字の意味が分からなくなる。
30%のうち、
AIがきちんと問題を解決したから電話が減ったのか。
AIが出るのが嫌で電話するのをやめたのか。
外から数字だけ見ても区別できない。
「問い合わせ件数削減」は、経営上は同じ数字になる。
でも患者にとっては全然違う。
それなら、患者も選択的に電話するようになるのではないか
もう少し考えてみる。
私なら、人間と話したい用件は昼間に電話する。
診療時間を確認したいだけなら、夜にAIへ電話してもいい。
妻なら、昼でも夜でもAIの方が気楽かもしれない。
患者自身が、
これはAIでいい。これは人に聞きたい。
と選び始める。
病院側も、人が必要な問い合わせへ人員を集中できる。
すると、AI電話は単純な「人間の置き換え」ではなくなる。
患者側と医療機関側の双方が行動を変えることで、問い合わせ全体を再配分するシステム
になる。
昼は人に聞く。
夜はAIで済ませる。
AIで済ませたい人はAIを選ぶ。
人に聞きたい人は人を選ぶ。
病院は定型業務をAIへ逃がす。
人間は、人間でなければ処理できない仕事に集中する。
行政は、限られた医療人材で体制を維持できるよう支援する。
条件がうまく整えば、
公的支援を利用した全体最適化
と見ることもできる。
ここまで考えると、公費投入にもそれなりの合理性が見えてくる。
単に一つの病院を楽にするのではなく、社会全体として必要な医療提供体制を、より少ない人的負荷で維持できるのであれば、公的支援を行う理由は説明できる。
太陽光発電の補助制度などと比べると、少なくとも私は、こちらの方が社会的な便益を想像しやすい。
それでもなお、引っかかる。
それでも、私は公費で回収する仕組みを好きになれなかった
ここまで来て面白かったのは、自分の最初の違和感が消えなかったことだ。
合理性はかなり理解した。
患者側にもメリットがある。
医療従事者の負荷も下がる。
限られた人員を、本当に人間が必要な仕事へ振り向けられる可能性もある。
社会全体として見れば、十分合理的な制度なのかもしれない。
それでも、
公費を使って民間事業者のAI導入を支援し、その投資回収をしやすくする仕組み
には、まだ少し抵抗がある。
つまり、私は最初、
「合理的ではないから嫌なのだ」
と思っていたらしい。
しかし分解してみると違った。
合理性はある。
それでも好きではない。
ここでようやく、
事実判断と価値判断は別物なのだ
という、ものすごく当たり前のところに辿り着いた。
社会全体で得なのか。
これは、ある程度数字で検証できる。
患者アクセスは改善したか。
職員の労働時間は減ったか。
医療の質は維持されたか。
投入した公費より社会的便益が大きかったか。
こうしたものは評価できる。
一方、
「社会全体で得なら、民間企業のAI投資に公費を入れてよいと思うか」
は最後には価値判断になる。
ロジックだけでは決まらない。
AIがなければ「なんか嫌だ」で終わっていた
ここまで書いて、もう一つ気づいた。
AIがなかったら、私はたぶんここまで考えていない。
Google広告を見て、
「医療向けAI電話か」
と思う。
診療報酬との関係に気づいて、
「公費も入るのか。なんか嫌だな」
と思う。
それで終わったはずだ。
自分の直感としては、それで十分だからだ。
でもAIと話していると、
何が嫌なのか。
誰が得をするのか。
患者側から見たらどうなのか。
社会全体ではどうなのか。
公費投入による外部便益はあるのか。
市場価格を歪める可能性はないのか。
問い合わせ件数減少を何で評価すべきなのか。
と、一つずつ論点に分解されていく。
AIが答えを出したわけではない。
むしろ、最後まで単純な答えは出なかった。
AIがやったのは、
「なんか嫌だ」という直感を、検討可能な論点へ変換したこと
だった。
これは、かなり面白いAIの使い方だと思う。
しかし、本当のターニングポイントはAIではなかった
さらに言えば、今回一番大きかったのはAIですらない。
妻の、
「受付の人が感じ悪いから、AIの方が気が楽」
という一言だった。
それまでの私とAIの会話には、患者側の評価軸がほとんど存在していなかった。
どれだけ論理的に分解しても、入力されていない評価軸は出てこない。
そこへ、別の人間から全く違う評価軸が入った。
すると、さっきまでかなり固まっていた結論が崩れた。
そしてAIに戻す。
新しく入った評価軸を含めて、もう一度全体を組み直す。
すると、
「公費で病院を楽にしている」
だけだった話が、
「患者アクセスを改善している可能性がある」
へ変わる。
アクセス数ではない、質の話だ。
同じAIが、一人には入口を広げ、別の一人には入口を狭める。
そこから、
「AIか人間かではなく、患者が選べることが重要なのではないか」
へ進む。
今回起きたことを並べると、
直感
→ AIで分解
→ 他者から新しい評価軸が入る
→ AIで再分解
→ 自分自身が反例になる
→ 最初とは違う場所へ到達
という流れだった。
これは、ロジカルシンキングの教科書を読むのとは少し違う。
実際の自分の違和感を題材に、その場で評価軸を増やしながら思考モデルを書き換えていく。
AIがあることで、こういう思考の往復が非常に安くなった。
結局、このAI電話をどう思うのか
結局、私はこの仕組みをどう思っているのだろう。
便利だと思う。
医療機関の負荷削減にも意味があると思う。
患者にとってAIの方が使いやすいケースもあると思う。
そして私は、AIより人間に話したい場合もある。
人間とAIの入口が両方残っているなら、AIという選択肢が増えること自体には価値がある。
人手不足の中で医療提供体制を維持するために、公的支援を行う理屈も分かる。
公的支援によって、患者と医療機関の双方が行動を少しずつ変え、システム全体の負荷を下げられるのであれば、全体最適化としてかなり筋がいいのかもしれない。
そして、それでも、公費によって民間のAI導入コストを下げる仕組みを、私は全面的には好きになれない。
たぶん、それが今の結論である。
白黒はつかなかった。
しかし、「なんとなく嫌だ」からはずいぶん遠くまで来た。
合理性がないから嫌なのではない。
合理性を理解した上でも、自分の中に残る価値判断がある。
それが分かっただけでも、十分だったのかもしれない。
ところで、なぜ私はこんなことを考えているのだろう
最後に最初の話へ戻る。
私は医療関係者ではない。
仕事で医療DXを調査していたわけでもない。
補助金について調べていたわけでもない。
Googleを見ていただけである。
そこに医療機関向けAI電話の広告が出てきた。
クリックした。
少し気になった。
気づけば、
診療報酬を調べ、
公的なAI導入支援を調べ、
街中に増えている医療への入口について考え、
妻と話し、
自分ならAIだから電話を避けるかもしれないと気づき、
公費のあり方について考え、
最後にはロジカルシンキングとAIによる思考拡張の話を書いている。
広告を出した側も、ここまでされるとは思っていなかっただろう。
せめて医療関係者にだけ見せてほしい。
Google!ターゲティングの弾幕薄いよ!何やってんの!

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