新卒給与の上昇。
AIロボットによる現場仕事の変化。
この二つを並べて考えると、少し先の社会が見えてくる。
今の小中学生が大人になるころ、世の中はどうなっているのだろうか。
正直、かなり想像しにくい。
頭脳労働ではAIに勝てない。
肉体労働でもAIロボットに勝てない。
そんな時代が来る可能性は、もう笑い話ではない。
文章を書く。
調べる。
要約する。
分析する。
プログラムを書く。
この辺は当たり前。
絵を描く。
音楽を作る。
このあたりが、人を超え始めたらヤバい。
すでにAIは、かつて「人間らしい」と思われていた領域に入り込んでいる。
さらにAIロボットが進めば、荷物を運ぶ、部品を組み立てる、掃除する、見守る、といった身体を使う仕事にも広がっていく。
では、人間の価値はどこに残るのか。
もしかすると、未来には「人が作りました」「人が考えました」「人がやりました」ということ自体に価値が出るのかもしれない。
手作りの器。
人間が演奏する音楽。
人間が直接教える授業。
人間同士の対話。
そういうものに、今よりも強い意味が生まれる可能性はある。
ただ、それだけに頼る未来は、少し怖い。
AIから見れば、人間は「絵を描くチンパンジー」のような存在になるのかもしれない。
一芸に秀でているから、珍しいから、人間がやっているから、見世物として価値がある。
そんな世界は想像したくない。
けれど、AIが頭脳労働でも、AIロボットが肉体労働でも、人間を大きく上回るなら、その可能性がゼロだとも言い切れない。
SFは昔から、そういう未来を描いてきた。
『2001年宇宙の旅』のHALも、人間が作った知性が人間の意図を超えていく怖さを見せた存在だった。
では、今できることは何か。
結局のところ、悪あがきでもAIを使うことだと思う。
AIを遠ざけるのではなく、触る。
怖がるだけでなく、試す。
答えをもらうだけでなく、問いを投げ返す。
AIの出したものを、そのまま信じるのではなく、自分の判断で組み替える。
AIに勝つことを目指すのは、たぶんしんどい。ていうか無理だ。
でも、AIと一緒に考えることはできる。
AIを使って、自分の考えを深めることはできる。
AIを使って、自分では届かなかった場所まで、仕事や学びを広げることはできる。
人間の価値は、AIより速く答えを出すことではなくなるのかもしれない。
むしろ、何を問うのか。
何を選ぶのか。
どこで責任を持つのか。
誰のために使うのか。
そこに移っていくのだと思う。
学力は大事だ。
身体能力も大事だ。
努力する力も、もちろん大事だ。
けれど、それだけでは足りない時代が来るかもしれない。
AIと共存する力。
AIに使われるのではなく、AIを使って自分の人生を選ぶ力。
それが、これからの「生きる力」になっていくのではないか。


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