生成AIは便利である。
文章を作る。
会議を要約する。
情報を整理する。
一時間かかった仕事が、数分で終わることもある。
ところが、会社全体を見ると、仕事はそれほど減っていない。
資料は早くできる。
しかし会議は減らない。
承認待ちも変わらない。
早く帰れるわけでもない。
困ったものである。
AIをやれと言うと、まずツールを探す
会社で「AIを活用しよう」となると、まず始まるのはツール探しだ。
どの生成AIを使うか。
社内データとつなげられるか。
セキュリティは大丈夫か。
必要な話ではある。
ただ、そのツールで仕事の何を変えたいのかは、意外と後回しになる。
結果として、AIは入った。
仕事の進め方は、そのままである。
ツールは仕事の一部を速くする。
しかし、仕事全体を勝手に組み直してはくれない。
塾へ入れただけで、宿題と復習まで自動的に回るわけではないのと同じである。
AIは働いた。仕事の流れが効果を吸収した
資料の下書きが30分から5分になったとする。
AI活用としては成功だ。
だが、その前には材料集めがあり、後には確認と承認がある。
短くなったのは、仕事の一部分にすぎない。
むしろ資料が簡単に作れるようになり、確認する資料だけ増えることもある。
AIは働いた。
ただ、その効果を、今までの仕事の流れが吸収したのである。
そこで必要になるのは、さらに賢いAIではない。
AIへ何を任せ、人間がどこで判断するか。
こちらを決める必要がある。
チャットBOTは、POCとして優秀すぎる
社内AIのPOCでは、チャットBOTが強い。
質問すれば答える。
利用者数も取れる。
検索時間の削減も示しやすい。
デモ映えする。
数字にもなる。
実に優秀である。
ただし、検索が速くなっても、判断する人が同じなら仕事はそこへ集まる。
資料作成が速くなっても、承認待ちが変わらなければ納期は変わらない。
それでも評価は、
何人が使ったか。
何時間減ったか。
何人減らせるか。
になりやすい。
分かりやすいからである。
一方、手戻りを減らし、判断のばらつきを抑え、失敗しても戻れる仕事へ変える取り組みは、恐ろしく地味だ。
画面を見ても、特に盛り上がらない。
しかし、仕事を本当に変えるのはこちらである。
AIの答えは、完成品ではない
生成AIは、自然な文章で間違える。
そこが厄介である。
議事録も、決定事項らしくきれいにまとまる。
だが、本当に会議で決まったこととは限らない。
「AIで作成しました」と書いても、責任までAIへ移るわけではない。
AIの出力は完成品ではない。
仕事の途中にある下書きである。
何でもできるAIより、
この仕事には使う。
ここから先は人が判断する。
と範囲が決まったAIの方が、現場では使いやすい。
キーエンスが好きになれなかった理由を、AIがきっかけで理解した
可能性を最大化することと、成果を最大化することは同じではない。
仕事が変われば、人の価値も変わる
AIが仕事へ入るほど、人間の役割も変わる。
文章を書く。
調べる。
まとめる。
そうした作業は、AIがかなり支援できるようになった。
今後はAIロボットが、身体を使う仕事にも入ってくるだろう。
すると人間へ求められるのは、単に作業することではなくなる。
異常に気づく。
工程全体を見る。
AIやロボットを含めて、仕事を組み直す。
人は、作業する側から設計する側へ移っていく。
その変化は給与にも表れる。
新卒給与が上がる一方で、「若いうちは安くても、後から報われる」という中堅世代の前提は怪しくなっている。
AIによって変わるのは、作業時間だけではない。
誰を評価し、何へ給料を払うかまで変わる。
人間に残るのは、問いと選択と責任である
では、人間はAIに何で勝てばよいのか。
たぶん、勝つ必要はない。
そして、おそらく勝てない。
人間の価値は、AIより速く答えることではなくなる。
何を問うのか。
どれを選ぶのか。
誰のために使うのか。
結果を誰が引き受けるのか。
AIは答えを作れる。
しかし、何を大切にするかまで預けるわけにはいかない。
この話は、そのまま子どもの教育にもつながる。
必要なのは、AIを使わない力ではない。
AIの答えを受け取り、疑い、自分の言葉へ戻す力である。
子供に必要なのは、AIに勝つ力ではなく、AIと生きる力かもしれない
仕事でも教育でも、問われていることは似ている。
AIの答えを受け取って止まるのか。
それとも、そこから問い直し、自分の判断として引き受けるのか。
AI導入とは、AIを入れることではない。
AIを含めて、仕事と人間の役割を組み直すこと。
たぶん、そこからが本番なのだと思う。


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