生成AIの便利な使い方として、議事録作成がある。
会議の録音を読み込ませる。
要点を整理させる。
決定事項と宿題を抜き出させる。
たしかに便利だ。
これまで会議後に、記憶をたどりながら「あれ、誰が何をやるんだっけ」と思い出していた時間を考えれば、かなり実用的な使い方だと思う。
ただ、最近少し気になる言葉がある。
AIで作成しました。
この一言である。
「AIで作成しました」には、少なくとも2つの意味がある
同じ「AIで作成しました」でも、意味は一つではない。
一つ目は、
ベースはAIで作成したが、内容は自分で確認し、自分の責任で発行しています。
という意味。
これは健全だと思う。
道具としてAIを使い、たたき台を作らせる。
そのうえで、会議の文脈を知っている本人が確認する。
必要なら修正する。
最後は、自分の成果物として出す。
もう一つは、
AIが書いたものを、そのまま出しました。間違っていてもAIのせいです。
という意味である。
こちらは、かなり危うい。
しかも厄介なのは、本人がそこまで明確に考えていない場合である。
「AIで作成しました」と添えておけば、多少間違っていても許される。
細かい表現がおかしくても、自分が書いたわけではない。
抜け漏れがあっても、AIの限界だから仕方ない。
そんな空気が、どこかに混じる。
人に頼んだらチェックするのに、AIだとチェックしない
少し考えると不思議な話である。
たとえば、アシスタントの人に議事録を書いてもらったとする。
その議事録を、自分の名前で発行する場合、普通は確認する。
発言のニュアンスは合っているか。
決定事項は正しいか。
宿題の担当者は間違っていないか。
言い切りすぎていないか。
逆に、ぼかしすぎていないか。
人が書いたものなら、チェックする。
ところが、AIが書いたものになると、なぜかチェックが急に甘くなる人がいる。
「AIがまとめたので」
「AIで作ったので」
「多少違うかもしれませんが」
いや、そこを確認するのが発行者の仕事ではないか、と思う。
議事録には、その人の仕事の仕方が出る
議事録というのは、ただの記録ではない。
誰が何を理解したのか。
何を重要だと見たのか。
何を決定事項として扱ったのか。
何を曖昧なまま残したのか。
その人の仕事の見方が、そのまま出る。
だから、雑な議事録を出すということは、単に文章が雑という話ではない。
自分はこういう確認の仕方をします。
自分はこの程度の精度で情報を流します。
自分は責任の所在をこのくらい曖昧に扱います。
そう宣言しているのに近い。
しかも議事録は、会議の参加者全員に配られる。
場合によっては、上司にも、関係部署にも、後からプロジェクトに入る人にも読まれる。
つまり、かなり広い範囲に向けて、
私はこういう仕事の仕方をする人です。
と自分で示していることになる。
AIを使うと、仕事の雑さも拡張される
AIは能力を拡張してくれる。
ただし、それは良い面だけではない。
雑な人がAIを使うと、雑な仕事を速く大量に出せるようになる。
確認しない人がAIを使うと、確認していない成果物をもっと簡単に配れるようになる。
責任を引き取らない人がAIを使うと、「AIがそう言ったので」という逃げ道まで手に入れてしまう。
AIは、その人の仕事ぶりを隠してくれる道具ではない。
むしろ、拡大して見せてしまう道具かもしれない。
「AIで作成しました」と書くなら
もちろん、AIで議事録を作ること自体は悪くない。
むしろ、かなり有効な使い方だと思う。
ただし、「AIで作成しました」と書くなら、本来は、
AIを使って下書きを作成し、内容は発行者が確認しました。
という意味であるべきだ。
AIに任せた部分があっても、最後に確認し、発行する判断をしたのは自分である。
そこを引き取れないなら、それはAI活用ではなく、責任の先送りに近い。
AIは、仕事の質を隠してくれる道具ではない。
確認の甘さや責任感の薄さまで、そのまま広げてしまうことがある。
AIに書かせたかどうかより、その内容を自分の仕事として出せるか。
結局、見られているのはそこなのだと思う。


コメント