前作のプリキュアのパジャマを買ったのは、私である。
正確に言えば、妻が選んだ商品の注文ボタンを押し、代金を払っただけである。
デザインを選んだわけでもない。妻に言われた商品を開き、そのまま購入した。
少なくとも、支払い上はプリキュアに関与していた。
ところが、届いたパジャマを着た子どもから、
「これは○○で、こっちは○○」
と説明されても、誰が誰なのかよく分からなかった。
私は、注文ボタンを押した記憶しかない。
嬉しそうなのに、申し訳ない。
購入者ではあったが、視聴者ではなかったのである。
前作までは休日含め不在の日が多く、子どもが見ている時間に家にいないことも多かった。
帰宅後に登場人物を説明されても、こちらの頭には何も入っていない。
「へえ、そうなんだ」
親が話についていけないときに使う、便利な言葉である。
子どもだけが知っている世界があり、親は少し離れたところから眺めていた。
今作は、一緒に見ている
今作は、日曜の朝に家族で見ることが増えた。
これまでの罪滅ぼしという意味も、ないとは言えない。
もちろん、子どもは気づくはずもない。
ただ、子どもがあとでプリキュアの話をしたときに、誰のことを言っているのか分かる。
前作では、パジャマに描かれた人物の名前すら分からなかった。
今作では、登場人物の名前が分かる。前回までに何が起きたのかも、だいたい分かる。
それだけで、子どもの話には入りやすくなる。
親子の共通話題としては、それで十分なのだと思う。
さらに言えば、コナンとのコラボ回も面白かった。探偵アニメ同士の組み合わせだけでなく、スポンサーまで含めて眺めると、なおさら味わい深い。
考察を始めたのは、両親だった
そんな中、キュアエクレールの正体が話題になった。
候補者の選定理由は?
あの場面は伏線なのか?
大人が見ると、いろいろ考えたくなる仕掛けがある。
私たち夫婦も、あれこれ話し始めた。
「この人じゃないか」
「母親説もあるよね」
「時間軸はどうなっているんだろう」
横を見ると、子どもは普通に番組を見ていた。
誰がキュアエクレールなのか、それほど気にしているようには見えない。
予想を口にするわけでもない。
伏線を探している様子もない。
普通に見て、普通に楽しんでいる。
考察していたのは、両親だけだった。
プリキュアまで週テストにしない
子どもに聞こうと思えば、いくらでも聞ける。
「誰だと思う?」
「どうしてそう思ったの?」
「どこがヒントだった?」
「違うとしたら誰?」
普段から、何かにつけて理由を聞きたくなる。
答えが出れば、そこに至った考え方を知りたくなる。
もはや、家庭の癖のようなものである。
だが、日曜の朝までそれを始めたら、プリキュアが週テストになってしまう。
見終わったあとの感想を〇〇字で書き出す必要はない。
子どもは、ただ見ている。
その「ただ見ている」を、親が勝手に課題に変える必要はない。
共通話題を作るために見始めたのに、気がつけば問いを出し、理由を求め、答え合わせまで始める。
それは、話題共有ではない。
ただのテストだ。
プリキュアまで週テストにしない。
これは子どもへの配慮というより、両親の注意書きなのだと思う。
同じ番組を、違う見方で見ている
子どもは物語を見ている。
両親は物語を見ながら、正体を予想している。
同じ画面を見ていても、楽しみ方は少しずつ違うらしい。
それでも、以前よりは同じ話ができる。
前作のパジャマを見て「???」だった親が、今作では登場人物の名前を知っている。
妻に言われた商品の注文ボタンを押すだけだった父親も、今ではキュアエクレールの正体を気にしている。
それだけでも、十分な変化なのだと思う。
親子の共通話題とは、同じ感想を持つことではないのかもしれない。
同じものを見て、それぞれ勝手に楽しみ、ときどき話が通じる。
そのくらいでいい。
ちなみに、正体が分かったあとで見れば、髪色にもそれらしい共通点がある。
もっと近い色の候補もいたので、変身による色の変化まで加味する必要はあるのだが。
あれは子ども向けの親切設計だったのだろうか。
そんなことを最後まで考察していたのも、やはり両親だった。
結局、プリキュアを週テストにしかけていたのは、子どもではなく私たちである。


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