「AIエージェントのオーケストレーション」。
なるほど、響きはカッコイイ。
AIエージェントだの、マルチエージェントだの、オーケストレーションだの。X界隈をにぎわせた横文字たち。さすがに一時の熱狂は落ち着いたようだが、いまだにあちらこちらでくすぶっている。
で、それで仕事は回るのだろうか。
そもそも、AIにオーケストレーションを任せられるほど仕事の手順が明確なら、従来のワークフローでよいのではないか。
もちろん、AIによる判断が役立つ場面はある。だが、そこに何人ものAIエージェントを登場させる必要があるのかは、また別の話である。
例えば、チケットの予約。
希望日時を伝え、空席を検索し、予約する。なるほど、これはAIにもできそうだ。
では、満席だったら?
別の時間にするのか。別の経路を探すのか。料金が倍になっても構わないのか。そもそも、勝手に代案を予約されても困るのではないか。
だったら、あらかじめ条件を設定しておけばよい?
ごもっとも。
しかし、それを全部決められるのなら、やっぱり従来のワークフローでよいのではないか。
普通の仕事は、そんなにお行儀よく進まない。
やってみたら想定と違った。調べてみたら別の問題が見つかった。担当者に聞いてみたら、そもそも前提が間違っていた。
そんなことは日常茶飯事である。
だから人間は相談する。議論する。時には最初の目的すら疑い、仕事の進め方を組み立て直す。
いわゆる「壁打ち」だ。
目的は何か。何が分かっていて、何が分からないのか。次に何を調べるべきか。誰に判断を仰ぐべきか。
実は、この壁打ちこそが、仕事を分解する作業なのではないか。
AIエージェントを何体も並べ、役割を割り振り、華麗に連携させる。
結構なことである。
しかし、その役割を決めたのは誰なのだろう。仕事を分解したのは誰なのだろう。
開発者があらかじめ全部決めているのなら、一番難しいところは人間が済ませていることになる。
オーケストラに例えるなら、指揮者も演奏者もそろっている。だが、肝心の楽譜は誰かが書いてくれる前提なのだ。
もっとも、普通の仕事に完成された楽譜など、そうそう存在しない。
むしろ、楽譜のない曲をどう演奏するか。それこそが仕事なのではないか。
しかも、客席には観客がいる。
上司であり、顧客である。
彼らは演奏者の数を数えに来たわけではない。指揮者の華麗な身振りを見に来たわけでもない。
何かを期待して、仕事を任せている。
困ったことに、その観客自身、どんな曲を聴きたいのか明確に説明できないこともある。
だから、こちらは考える。試す。反応を見る。時には曲そのものを作り直す。
演奏しながら楽譜を書き、必要なら書き換える。
そして最後には、観客を感動させなければならない。
どれほど見事に演奏しても、期待されたものと違えば、退屈どころの話ではない。
失望である。
厳しい話だが、それが仕事というものだろう。

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